F1は世界最高峰のモータースポーツ。その舞台に「自国初のドライバー」として挑むことは、ただのスポーツ参戦を超え、国のモータースポーツ史そのものを切り拓く挑戦でもある。
この連載「F1フロンティア」では、各国で最初にF1の扉を開いたドライバーたちを取り上げていく。
その第3弾は、中国初のF1ドライバー 周冠宇(Zhou Guanyu)。
巨大市場を抱える中国にとって、彼の登場はF1界全体にとっても象徴的な出来事だった。アルファロメオからのデビュー、シルバーストンでの大事故を乗り越えた闘志、そして2025年フェラーリのリザーブドライバー就任――その軌跡を振り返る。
│ドライバー紹介
フルネーム:周 冠宇(Zhou Guanyu)
生年月日:1999年5月30日
出身地:中国・上海
幼少期に母国で開催されていた中国GP(2004年初開催)に影響を受けてモータースポーツに夢中になり、8歳でカートを始め、13歳でイギリスに渡り、モータースポーツ先進国の育成環境に身を置いていた。
F3、F2と着実にステップを踏み、2019年にはルノー(後のアルピーヌ)のジュニア育成ドライバーに加入。およそ3年にも渡る苦渋を経て、2021年にはF2で年間ランキング3位となり、ついにF1シートを射止めた。
│中国のモータースポーツ事情
中国は自動車産業では巨大な存在ながら、モータースポーツ文化は長らく定着していなかった。
2004年から上海インターナショナル・サーキットで中国GPが開催されたことを契機にF1人気は高まったが、国内ドライバーの不在が課題だった。もちろんアジア出身ドライバーの存在が多くは無かったが、中国人ドライバーとしては、当時は全く出てこなかったのだ
その中で周冠宇のF1昇格は、F1全体にとっても中国市場拡大の大きな象徴となった。チームスポンサーには中国企業がつき、F1は明確に「中国を取り込みたい」という姿勢を見せたと言えるだろう。
│F1での戦績(ハイライト)
2022年 アルファロメオ(デビュー年)
バーレーンGPでデビュー。初戦で10位入賞し、初ポイントを獲得。これは中国人初のF1ポイントの快挙。
しかしシーズン最大の話題はイギリスGP。スタート直後に大クラッシュし、マシンがグラベルを越えてフェンスに突っ込む大事故に見舞われた。だが最新のハロ(頭部保護デバイス)と安全規定により命は救われ、「奇跡の生還」として世界中に報じられた。2023–2024年 アルファロメオ(キック・ザウバー)
中団で奮闘しつつも、マシン性能の限界もあり目立った戦績は残せず無かったが、中国人ドライバーとしてポイント獲得と印象を大きく残したのだ。
3年間で通算 68戦/16ポイント を記録した。2025年 フェラーリ・リザーブドライバー就任
2025年、スクーデリア・フェラーリは周冠宇をリザーブドライバーに起用すると発表。
名門フェラーリの一員となったことで、今後のF1復帰や耐久レース(WEC)挑戦など、キャリアの新たなステージが期待されている。そして、代役での走行がある際は、中国人初のフェラーリドライバーが誕生するだろう。
│特筆するレース
2022年 バーレーンGP(デビュー戦)
周冠宇にとってF1デビュー戦となったこのバーレーンGPは、中国人初のF1ポイントを獲得する歴史的瞬間でもあった。
スタート直後は中団でポジションを争い、オーバーテイクや接触のリスクもある中で冷静な判断を見せる。レース中盤にはピット戦略で順位を上げ、終盤には他車のリタイアやトラブルもあり、最終的に10位でフィニッシュ。
デビュー戦でポイントを獲得するという快挙は、中国だけでなく世界中のF1ファンの注目を集め、F1公式サイトや現地メディアでも大きく報じられた。そして「中国にも凄い選手がいる」という印象を与えたレースだ。
│その後どうなったのか
周冠宇は、F1で大きな勝利やタイトルこそ手にしていない。
だが、 「中国初」という存在そのものが持つ価値は計り知れない。スポンサーを呼び込み、中国の若い世代に「F1ドライバー」という夢を現実のものとして示した功績は大きい。
また、2025年からはフェラーリのリザーブドライバーという立場でチームの開発・サポートを担いながら、次なるチャンスを虎視眈々と狙っている。
周冠宇は「勝者」ではなく「開拓者」である。
その道は決して平坦ではなかったが、彼が中国初のF1ドライバーとして切り開いた扉は、次の世代にとって大きな財産となるだろう。
まさに「F1フロンティア」の名にふさわしい挑戦者――それが周冠宇である。
