レッドブルに昇格してから2戦で姉妹グループの「レーシングブルズ」へと移動したリアム・ローソン。この2戦で彼が最も苦しんだのは繊細なマシンへの対応。レッドブルのマシン他のマシンに比べて扱いが難しいと言われるほど、年々難しいマシンになっていると言われている。しかし、彼のF1キャリアにとっては不運でもあるが、まだキャリアは諦めるべきではないだろう。彼には潜在的な能力がまだまだある。そんな彼の強みを遍歴と共に伝えていければと思う。
遍歴-F1に上がるために積み上げたキャリア
2002年2月彼はニュージーランドで整備士として働く父のもとで生まれた。ローソンのレースキャリア初期であるカートレースでは、家族が財政的にサポートしていた。モータースポーツはステップアップにつれて莫大な資金が必要になってくる。
そんな中ニュージーランドF4で15戦14勝と圧倒的な成績でチャンピオンを獲得し、トヨタ・レーシング・シリーズでチャンピオンになったことでレッドブル・ジュニアに加入した。ここまでの間に4つのシリーズを1年ずつ渡り歩いているが総合1位と2位を獲得している。
リアム・ローソンは2021年にHitech GPからF2デビューし、初年度は総合9位。2022年はCarlinに移籍し、4勝を記録して総合3位でフィニッシュしている。特にスパ・フランコルシャンやジェッダでの勝利は、ローソンの攻撃的かつ冷静なレース運びを印象付け、次期F1ドライバーの候補として名を挙げることになる。
遍歴-新しい道で掴んだ夢
2021年、ローソンはRed Bull AF CorseからDTM(ドイツツーリングカー選手権)に参戦し、フェラーリ 488 GT3で印象的な活躍を見せた。最年少ドライバーながらデビュー戦で優勝を果たし、シーズンを通してタイトル争いを展開。最終戦での接触によりタイトルを逃したが、シリーズ2位という素晴らしい結果を残した。シングルシーターとは異なるGTマシンでの順応力と速さは、彼の多才さを証明した。
2023年、リアム・ローソンはTEAM MUGENからスーパーフォーミュラに参戦。デビュー戦の富士で初優勝、瞬く間に適応力の高さを証明した。その後も安定した成績を重ね、第4戦オートポリスで初優勝。シーズン後半はベテラン勢との白熱の末、最終的にランキング2位でシーズンを終えた。日本の高い競争レベルでも即座に結果を残し、F1昇格に向けたアピールとなった。
遍歴-レギュラードライバーまでの長い道のり
同年、レッドブルおよびアルファタウリ(現レーシングブルズ)のリザーブドライバーを務めていたが、なかなかシート枠が空かずバックで眺める日々であった。だが、ダニエル・リカルドがオランダGPで手を負傷したため、ローソンは急遽代役としてF1デビューを果たした。全5戦に出場し、特にシンガポールGPで9位入賞を果たし、ポイントを獲得。安定した成績と冷静な対応が評価されたが、2024年も再びダニエル・リカルドが残ることで、またリザーブへと戻されてしまった。
2022年から待ち続けたローソンは、2024年アメリカGPで再びチャンスが舞い降りた。ダニエル・リカルドの不調により、シーズン終了まで角田裕毅のチームメイトとしてシートを獲得し、角田裕毅と並ぶ予選タイムや3度の入賞で力強いパフォーマンスを見せた。
たった11戦の短い期間の代役での活躍が評価され、ヘルムート・マルコやクリスチャン・ホーナーも2025年のレギュラーシート候補としてローソンを高く評価。その結果、2025年にレッドブルでフルタイムドライバーの座を掴むこととなったのである。
長かったF1ドライバーまでの道のりと高い能力とは
F2までは着実にステップアップしたリアム・ローソンだったが、残り1つのステップアップでかなりの時間と少ない戦績の中、彼にしかない順応力の高さでパフォーマンスを魅せていた。若さではなく、彼にしかないアグレッシブな走りは、たった9戦しかなく、安定した走行が必須なスーパーフォーミュラとタイヤ管理とアグレッシブなレースであるDTMで多くの経験値を積んできた。2025年のF1ドライバーでも、あの若さでこれほどのキャリアを積んだドライバーはいないだろう。
彼にとってはプレッシャーが強く感じられていたが、レーシングブルズに戻った今、また強い彼を見ることが出来るだろう。また強いローソンを誰もが待っている。
