F1は世界最高峰のモータースポーツ。その勝利の裏には、マシンの性能を最大化する“天才設計者”の存在がある。エイドリアン・ニューウェイは、まさにその代表格だ。空力設計の概念を根本から変え、F1に革新をもたらした人物として知られている。
この連載「F1フロンティア」では、各国やコミュニティで最初にF1の扉を開いたパイオニアたちに光を当てていく。今回取り上げるのは、空力の魔術師、エイドリアン・ニューウェイである。
│プロフィール
フルネーム:エイドリアン・ニューウェイ(Adrian Newey)
生年月日:1958年12月26日
出身地:イギリス・サフォーク
幼少期から模型飛行機に熱中し、航空力学や流体力学の知識を自然に身につける。オックスフォード大学で航空宇宙工学を学んだ後、レーシングカーの設計に転身。ローラ、ウィリアムズ、マクラーレン、レッドブルなど名門チームでチーフデザイナーとして数々のF1マシンを生み出し、現代F1における空力設計の基礎を築いた。
│初年期:風を描く少年
1958年、イギリス・ストラットフォード・アポン・エイヴォン生まれ。
シェイクスピアの故郷で育った少年は、幼いころから風の動きや形に惹かれていた。
模型飛行機を作っては、なぜ浮くのかを確かめる。
“見えないものの形”を知りたい──それが彼の原点だった。
大学では空力工学を専攻し、卒業後は小さなチーム「マーチ」へ。
当時のF1は、まだ“人間の勘”で設計される時代。
しかしニューウェイは、空気の流れを数字で、そして芸術として捉えた。
それは、後にF1全体を変える発想だった。
│開花:ウィリアムズで築いた ― 科学で速さを描いた時代
1990年代初頭、ウィリアムズのガレージにやって来た男は、静かに図面を引き始めた。
結果、誕生したのが伝説のマシン「FW14B」。
アクティブサスペンションと空力の融合──それはまさに未来のF1だった。
ナイジェル・マンセルがこのマシンで圧勝。
続く翌歳ではプロストがチャンピオンを獲得し、ウィリアムズは“ニューウェイ時代”を築き上げた。
だが、本人は満足していなかった。
「風の流れはまだ完全には読めていない」
彼の挑戦は、まだ始まったばかりだった。
しかし、栄光の影には大きな悲劇もあった。
1994年、ウィリアムズFW16をドライブしていたアイルトン・セナがサンマリノGPで命を落とした。
そのマシンの設計チームには、もちろんニューウェイも名を連ねていた。事故後、彼は自らの設計思想を深く見つめ直し、長期間にわたり精神的な苦しみを抱えることになる。
のちにニューウェイは語っている。
「あの週末以降、速さだけを追い求める設計に意味を見失った。」
それでも彼は、技術と安全の両立という新たな目標を胸に、再び立ち上がる。
この経験が、後の“安全かつ美しいマシンづくり”という彼の哲学を形づくる転機となった。
│成熟期:美と効率を求めて ― マクラーレンの歳月
1997年、ニューウェイはマクラーレンに移籍。
新しい環境で彼が追い求めたのは、“美しい速さ”。
ただ風を切るのではなく、風と調和する形を求めた。
「MP4-13」はその象徴。
曲線美と空力のバランスを兼ね備えたマシンで、ミカ・ハッキネンを初の世界王者へと導いた。
設計図の一線一線に、彼の美学が宿っていた。
しかし、組織の政治や限界に直面し、彼は静かに次の挑戦を探す。
そして、世界が予想もしなかった選択をする──“若手チーム”レッドブルへ。
│レッドブルという自由 ― 天才が風を味方につけた瞬間
2006年、レッドブル・レーシング。
その名はまだ、誰もが“お遊びチーム”と呼ぶ程度だった。
だが、ニューウェイはそこに可能性を見た。
「制約のない場所で、自由に風を描ける」
2009年以降、彼の空力哲学は花開く。
細部まで研ぎ澄まされた“RB”シリーズのマシンは、まるで風が形を成したかのようだった。
セバスチャン・ベッテルが4連覇を達成。
空気の流れが、勝利の方程式へと変わった瞬間だった。
│沈黙から再起へ ― ニューウェイの転機と未来
ベッテルの4連覇以降、ニューウェイは一時的に“目立った稼働”が少なくなった。新規規則やチーム環境の変化で設計への集中が難しくなり、以前のような革命的マシンは少なくなっていた。
しかし2019年、レッドブルとホンダの提携を機に再び注目を浴びる。空力設計の力を存分に発揮し、2021年にはマックス・フェルスタッペンがニューウェイ設計車で世界王者を獲得した。さらに2022年から2024年にかけて、レッドブルはほぼ無敵の強さを誇るマシンを作り上げた。
2025年、ニューウェイは長年の所属チームレッドブルを離れ、アストンマーティンへの移籍を決意。次期F1規則改定(2026年)を見据え、再び空力革命に挑む新章が始まった。
ニューウェイの旅は、まだ終わらない。レッドブル時代の栄光を胸に、アストンマーティンでの新しい挑戦に向かっている。空力の天才は、今日もデータと風と戦いながら、次のF1の歴史を作ろうとしている。
「F1の世界に常識はない。変化を恐れず、空気と向き合い続けることが革新を生む」――彼の言葉は、まさに現代F1の設計者像を体現している。
