イタリア・ミラノ近郊にあるモンツァ・サーキットは、1922年に完成した世界で最も歴史の長いサーキットの一つ。毎年開催される「イタリアGP」は、F1創設(1950年)以来、例外的な数年を除いてほぼ毎年モンツァで開催されている。

モンツァの魅力は何といってもそのスピード。「スピードの聖地(Temple of Speed)」と呼ばれ、
現在でもF1カレンダーで最高速が最も出るサーキット。しかし、この“速さ”を支えるためには、数多くのレイアウト変更と安全対策の歴史があった。

│1920〜50年代 危険とスピードが共存した“オーバル時代”

モンツァの初期レイアウトは、バンク付きのオーバルコース(楕円形)とロードコースを組み合わせた全長10km超のレイアウトこのオーバルは角度約38度の急バンクがあり、平均時速200km/hを超える当時としては超高速コースとして知られていた。

当時のマシンにはほとんど安全装備がなく、事故=命の危険が伴う時代。それでもドライバーたちは限界の速さを求め、モンツァは“危険とスピードの象徴”として君臨していた。

しかし、1950年代後半になると事故が多発。1955年のル・マン事故をきっかけに安全への意識が高まり、モンツァのオーバル区間は1960年代以降、F1では使用されなくなる。

1961 モンツァでのGP

│1970年代 初のシケイン導入、安全性への転換期

1970年代に入ると、マシンの性能向上によりスピードはさらに上昇。平均速度が300km/hを超える中、コーナーはほぼ全開という危険な超高速トラックになっていた。

そこで1972年、初めてのシケイン(減速区間)が導入された

  • レティフィロ(第一シケイン):スタート後

  • ロッジア(第二シケイン):バックストレート前

これにより、ブレーキングゾーンが増え、オーバーテイクのチャンスも生まれるなど、安全性とレースの面白さの両立が図られた。ただし、当時のファンの中には「純粋なモンツァの速さが失われた」と感じた人も多く、
伝統と安全のバランスをめぐる議論が続くことになる。

│1990年代 FIA安全基準による近代化

1990年代に入ると、FIA(国際自動車連盟)が安全基準を厳格化。1994年のアイルトン・セナ事故を契機に、世界中のサーキットでランオフエリア(退避ゾーン)拡大、縁石設計の見直し、壁の後退などが行われた。

  • コーナーの縁石を高くしてカット防止

  • レズモコーナー(左上のコーナー)の外側拡張

  • コンクリート壁の後退

この時代、モンツァは“スピードを維持しながら安全を高める”という難しい課題に直面し、F1の安全対策のモデルケースとなった。

│2000年代〜現在 アスファルト化と高速バトルの進化

2000年代に入ると、シケイン形状や路面の再舗装が進み、アスファルトランオフ(舗装された退避ゾーン)が主流に。これにより、グラベル(砂利)よりもマシンが制御しやすくなり、クラッシュ後の再走行も可能になりった。

また、DRS(可変リアウイング)の導入によって長いストレートを利用したオーバーテイクが増え、スリップストリーム合戦というモンツァらしい戦い方が再び注目を浴びた。

現代モンツァは、かつての「危険な高速トラック」から、「安全かつ戦略性の高いスピードバトルの舞台」へと進化したのだった。

│今も残る“伝説のオーバル跡”

出典:Visa Cash App RB F1 Team

オーバル区間は今でもサーキット敷地内に遺構として残されている。草に覆われたコンクリートバンクは、当時の過酷な戦いを物語る歴史の証人。

モンツァを訪れるファンの間では、この旧オーバルを歩くことが聖地巡礼のような体験となっており、見学ツアーも人気です。「ここでかつてF1が走っていた」という事実こそ、モンツァが“スピードの聖地”と呼ばれる理由だろう。