ブラジルは、F1の歴史で3人のワールドチャンピオンを輩出してきた国だ。

エマーソン・フィッティパルディ、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナの3人は、合計8度のドライバーズタイトルを獲得している。

さらに、ブラジル人ドライバーはF1で通算101勝を記録してきた。
しかし、ブラジルのF1史を築いてきたのはワールドチャンピオンだけではない。

1951年に初めてF1へ参戦したチコ・ランディから、長年活躍したルーベンス・バリチェロやフェリペ・マッサまで、多くのドライバーが記録を残してきた。

そして2026年現在、ガブリエル・ボルトレートがアウディからF1に参戦している。

ブラジル人ドライバーは、どのようにF1の歴史を築いてきたのだろうか。

1950年代から2026年まで、主要なドライバーの活躍を時系列で紹介する。

│ブラジルがF1で残してきた記録

2026年10月31日時点で、ブラジルは3人のワールドチャンピオンと6人のF1優勝経験者を輩出している。

ブラジル人ドライバーによる通算優勝回数は101勝だ。

ドライバーF1優勝回数王座獲得回数
エマーソン・フィッティパルディ14勝2回
ジョゼ・カルロス・パーチェ1勝0回
ネルソン・ピケ23勝3回
アイルトン・セナ41勝3回
ルーベンス・バリチェロ11勝0回
フェリペ・マッサ11勝0回
合計101勝8回

最後にブラジル人ドライバーがF1で優勝したのは、2009年イタリアGPのルーベンス・バリチェロだ。

また、最後のブラジル人ワールドチャンピオンは、1991年に3度目のタイトルを獲得したアイルトン・セナとなっている。

│ランディからフィッティパルディへ|ブラジルF1の始まり

ブラジル人として初めてF1世界選手権に参戦したのは、チコ・ランディだ。

1951年9月16日のイタリアGPで、フェラーリのマシンを使用してF1デビューを果たした。デビュー戦はマシントラブルでリタイアしたものの、その後もF1への参戦を続けた。

ブラジル人として初めてF1で優勝し、ワールドチャンピオンになったのが、エマーソン・フィッティパルディだ。

1970年にロータスからF1デビューを果たし、同年のアメリカGPで初優勝を達成した。

1972年には25歳で初のワールドチャンピオンとなり、当時の史上最年少記録を樹立。1974年にはマクラーレンで2度目のタイトルを獲得した。

また、1973年にF1世界選手権のブラジルGPが初開催されると、フィッティパルディが優勝。翌1974年にも母国GPを制した。

1975年には、ジョゼ・カルロス・パーチェがインテルラゴスで優勝した。

この勝利はパーチェにとって唯一のF1優勝となったが、1977年に航空機事故で亡くなった。その功績をたたえ、1985年にはインテルラゴスの正式名称が「アウトドローモ・ジョゼ・カルロス・パーチェ」に変更された。

ランディによるF1初参戦から始まり、1970年代にはブラジル人ドライバーが世界王座と母国GP優勝を達成した。

│ネルソン・ピケとアイルトン・セナの黄金時代

1980年代から1990年代初頭にかけて、ブラジルは2人の3度のワールドチャンピオンを輩出した。

ネルソン・ピケとアイルトン・セナだ。

ネルソン・ピケは1978年にF1デビューし、1980年のアメリカ西GPで初優勝を達成した。

1981年にはブラバムで初のワールドチャンピオンとなり、1983年にもタイトルを獲得した。

さらに1987年にはウィリアムズで3度目の王座に輝いた。ピケのF1通算優勝回数は23勝となっている。

一方、アイルトン・セナは1984年にトールマンからF1デビューを果たした。

1985年にロータスで初優勝を達成し、1988年にはマクラーレンで初のワールドチャンピオンとなった。

その後も1990年と1991年にタイトルを獲得し、通算3度の世界王者となった。

母国での活躍も、セナのキャリアを語るうえで欠かせない。

1991年のブラジルGPでは、レース終盤にギアボックスのトラブルが発生した。セナは6速ギアしか使えない状態で走り切り、母国GP初優勝を達成した。

1993年にもブラジルGPで優勝し、F1通算41勝を記録した。

しかし、1994年のサンマリノGPで発生した事故によって、セナは34歳で亡くなった。

ピケとセナは合計6度のドライバーズタイトルを獲得し、ブラジルのF1史を代表する存在となった。

│バリチェロとマッサが残した功績

セナの死後も、ブラジル人ドライバーはF1で活躍を続けた。

その中心となったのが、ルーベンス・バリチェロとフェリペ・マッサだ。

バリチェロは1993年にF1デビューを果たし、2000年にフェラーリへ移籍した。

同年のドイツGPで初優勝を達成し、2002年と2004年にはドライバーズランキング2位を記録した。

フェラーリを離れた後も参戦を続け、2009年にはブラウンGPで2勝を挙げた。

2011年まで19シーズンにわたってF1に参戦し、通算11勝を記録している。

一方、フェリペ・マッサは2002年にザウバーからF1デビューし、2006年にフェラーリで初優勝を達成した。

マッサがワールドチャンピオンに最も近づいたのは2008年だった。

最終戦ブラジルGPを迎えた時点で、マッサはルイス・ハミルトンを7ポイント差で追っていた。

マッサは母国GPで優勝したものの、ハミルトンが最終ラップでティモ・グロックを抜いて5位でフィニッシュした。

結果、ハミルトンが98ポイント、マッサが97ポイントとなり、わずか1ポイント差で世界王座を逃した。

その後もマッサはF1参戦を続け、2017年に引退した。通算優勝回数は11勝だった。
バリチェロとマッサは、それぞれ11勝を記録し、セナ以降のブラジル人ドライバーの活躍を支えた。

│8年ぶりのフル参戦を実現したボルトレート

2017年限りでマッサが引退すると、ブラジル人のフル参戦ドライバーは不在となった。

2020年には、エマーソン・フィッティパルディの孫であるピエトロ・フィッティパルディが、負傷したロマン・グロージャンの代役として2戦に出場した。

しかし、2018年から2024年まで、ブラジル人ドライバーが年間を通じてレギュラーシートを獲得することはなかった。

その状況を変えたのが、ガブリエル・ボルトレートだ。

ボルトレートは2023年にFIA F3選手権でチャンピオンとなり、2024年にはFIA F2選手権でもタイトルを獲得した。

2025年にはキック・ザウバーからF1デビュー。フェリペ・マッサ以来、8年ぶりとなるブラジル人のフル参戦が実現した。

2026年は、ザウバーを引き継いでF1にワークス参戦したアウディから出場している。

2026年10月31日時点の成績は、以下のとおりだ。

  • ドライバーズランキング:15位

  • 獲得ポイント:10ポイント

  • 決勝入賞回数:3回

  • 最高決勝順位:8位

オーストラリアGPで9位、イギリスGPとベルギーGPではそれぞれ8位を記録している。

そして11月6日から8日には、母国のサンパウロGPが開催される。

サンパウロ出身のボルトレートにとって、インテルラゴスでのレースは母国ファンの前で戦う機会となる。

ボルトレートは、ブラジル人ドライバーのフル参戦が途絶えていた期間を終わらせ、新たなF1キャリアを歩み始めた。

│まとめ

ブラジル人ドライバーのF1参戦は、1951年のチコ・ランディから始まった。

1970年代にはフィッティパルディが初のブラジル人ワールドチャンピオンとなり、パーチェも母国GPで優勝を達成した。

1980年代から1990年代初頭には、ネルソン・ピケとアイルトン・セナが合計6度のドライバーズタイトルを獲得した。

その後はバリチェロとマッサがF1で活躍を続け、2025年にはボルトレートが8年ぶりにブラジル人のフル参戦を実現した。

ブラジル人ドライバーは、これまでに8度の世界王座と101勝を記録してきた。

2026年現在も、ガブリエル・ボルトレートがアウディからF1に参戦し、ブラジル人ドライバーの歴史をつないでいる。