2026年、F1世界選手権のレースが9年ぶりにマレーシアのセパンへ戻ってくる。
舞台となるのは、セパン・インターナショナル・サーキットだ。
ただし、2026年に開催される大会は「マレーシアGP」ではない。
正式名称は「FORMULA 1 GULF AIR BAHRAIN GRAND PRIX IN MALAYSIA 2026」。
中東情勢を受けて4月の開催が見送られたバーレーンGPを、マレーシアが受け入れる形で開催される。
セパンは1999年から2017年まで、19年連続でF1マレーシアGPを開催したサーキットでもある。
現代的なF1サーキットの先駆けとなり、数多くの名場面も生み出してきた。
セパンはどのように誕生し、なぜ2017年にF1カレンダーから姿を消したのか。
1999年の初開催から2026年のF1復帰までを振り返る。
│セパン・インターナショナル・サーキットとは?
セパン・インターナショナル・サーキットは、マレーシアのセランゴール州セパンにある常設サーキットだ。
クアラルンプール国際空港の近くに位置し、コース全長は5.543km。
15のコーナーを持ち、高速コーナー、低速コーナー、長いストレートが組み合わされている。
特に特徴的なのが、ホームストレートとその反対側に並ぶ2本の長いストレートだ。
高速性能だけではなく、低速コーナーでの旋回性能やブレーキング性能も求められる。
さらに、マレーシア特有の高温多湿な気候もセパンの特徴だ。
突然の激しい雨がレース展開を大きく変えることもあり、2009年には豪雨によってレースが途中終了となった。
│マレーシアはなぜF1サーキットを建設した?
セパンが計画されたのは、マレーシアが急速な経済発展を進めていた1990年代だった。
当時のマレーシアでは、工業化やインフラ整備が進められ、その一環として世界水準のモータースポーツ施設を建設する計画が進んだ。
セパンはクアラルンプール国際空港周辺の開発とも連動する形で建設された。
建設は1997年に始まり、1999年に正式オープンした。
F1だけではなく、MotoGPなどの国際モータースポーツを開催する拠点として、セパンはマレーシアを代表するサーキットになっていった。
│ヘルマン・ティルケが設計した最初のF1サーキット
セパンを設計したのは、ドイツ人サーキットデザイナーのヘルマン・ティルケだ。
ティルケはその後、バーレーンや上海など、数多くのF1サーキットを手掛けている。
セパンは、ティルケがF1開催を前提として一から設計した最初のサーキットとして知られている。
広いランオフエリア、大規模なピット施設、2本の長いストレートなど、1999年当時としては非常に近代的な設備が採用された。
観客席から複数のコーナーを見渡しやすいレイアウトも特徴だった。
その後、世界各地で新しいF1サーキットが建設されるなかで、セパンは現代的なF1サーキットの先駆けとなる存在になった。
│1999年に初めてマレーシアGPを開催
セパンで初めてF1マレーシアGPが開催されたのは、1999年10月17日だった。
初開催から、タイトル争いに大きく影響するレースとなった。
フェラーリのミハエル・シューマッハは、イギリスGPで負った脚の骨折からこのレースで復帰。
復帰戦にもかかわらず、予選ではポールポジションを獲得した。
ただし、シューマッハ自身はすでにタイトル争いから脱落していた。
フェラーリは、チャンピオン争いを続けていたエディ・アーバインを支援する戦略を取った。
決勝ではアーバインが優勝。
シューマッハが2位、マクラーレンのミカ・ハッキネンが3位となった。
セパンは初開催から、F1タイトル争いの重要な舞台となった。
│セパンで生まれた数々の名場面
セパンでは、その後も多くの名場面が生まれた。
2001年は激しい雨でレースが混乱するなか、ミハエル・シューマッハとルーベンス・バリチェロがフェラーリの1-2フィニッシュを達成した。
2003年には、キミ・ライコネンがF1初優勝を記録した。
2009年は豪雨によって31周でレースが終了。
当時の規則によってハーフポイントが与えられ、ジェンソン・バトンが優勝した。
2012年には、フェルナンド・アロンソとセルジオ・ペレスが優勝を争った。
ペレスは終盤までアロンソを追い、2位で自身初のF1表彰台を獲得した。
2013年には、レッドブルの有名な「Multi 21」問題が発生。
セバスチャン・ベッテルがチームの指示に反してマーク・ウェバーを抜き、優勝したことで大きな議論となった。
2016年には、首位を走っていたルイス・ハミルトンがパワーユニットのトラブルでリタイア。
ダニエル・リカルドが優勝した。
そして2017年の最後のマレーシアGPでは、マックス・フェルスタッペンがルイス・ハミルトンを破って優勝した。
セパンは最後の大会まで、記憶に残るレースを生み出した。
│なぜマレーシアGPは2017年で終了した?
マレーシアGPは1999年から2017年まで19年連続で開催された。
しかしF1とセパン・インターナショナル・サーキットは2017年、その年の大会を最後にF1開催を終了することで合意した。
当初の契約は2018年までだったが、終了時期は1年前倒しされた。
背景にあったのが、開催コストに対して得られる効果の低下だ。
当時のマレーシア政府は、F1開催にかかる費用と比べて、国が得られる経済的なリターンが小さくなっていたことを理由として挙げている。
チケット販売やテレビ視聴の低下も課題となっていた。
ただし、セパン・インターナショナル・サーキットそのものが閉鎖されたわけではない。
F1終了後もMotoGPをはじめ、さまざまなモータースポーツイベントが開催されてきた。
セパンから姿を消したのは、サーキットではなくF1だった。
│2026年、バーレーンGPの開催地としてF1復帰
2026年、セパン・インターナショナル・サーキットで9年ぶりにF1世界選手権のレースが開催される。
10月2日から4日に行われるのは、「FORMULA 1 GULF AIR BAHRAIN GRAND PRIX IN MALAYSIA 2026」だ。
ただし、マレーシアGPが通常の形で復活するわけではない。
中東情勢を受けて4月の開催が見送られたバーレーンGPを、マレーシアが受け入れる形で開催される。
セパンではF1終了後もMotoGPなどが開催され、国際モータースポーツの舞台として使われ続けてきた。
現時点では、2026年の開催が通常のマレーシアGP復活につながるとは発表されていない。
そのため、2026年のバーレーンGPと、将来的なマレーシアGP復活は分けて考える必要がある。
│まとめ
セパン・インターナショナル・サーキットは、1999年にF1マレーシアGPの開催を開始した。
ヘルマン・ティルケが初めて設計したF1サーキットとして知られ、その後の現代的なF1コースにもつながる存在となった。
マレーシアGPは19年連続で開催されたものの、開催コストに対して得られる効果の低下などを背景に2017年で終了した。
それから9年。
2026年には、バーレーンGPの開催地としてF1マシンがセパンへ戻ってくる。
通常のマレーシアGP復活ではない。
それでも、1999年から多くの名場面を生み出してきたセパンを、現代のF1マシンが再び走る。
セパンの歴史を知ると、2026年にF1が戻ってくる意味も分かりやすくなる。